美術探索隊!!“近代彫刻の夜明け”〜ロダンとマティスの出会い後編〜
正確性は真実ではない
第5回
どうもこんにちは。塚原正太郎です。
作品制作で悪戦苦闘を強いられていたので、久々のブログ更新となります(汗)
さてさて、前回の記事では“ロダンとマティスの出会い前編”ということで、近代美術史においてロダンがどのような役目を果たしたのかを見ていきました。
▲前編の記事はこちらから
今回はその続きで、マティスがロダンの彫刻に対してどのような反応を示したのか、ロダン以降の彫刻史の流れはどのようなものだったのか、ということを中心に話を進めていこうと思います。
それでは参りましょう!!
〜ロダンの彫刻・マティスの彫刻〜
まずはじめに、ロダンとマティスが出会った時点での両者の彫刻の特徴を比較して見ていきましょう。
ロダンの彫刻
『歩く人』は前回の記事でも取り上げましたが、ロダンの“私的な側面”をもつ作品であり、制作の痕跡が表面に残されています。また、この作品は『洗礼者ヨハネ』の習作として作られたもので、こちらは頭部と四肢がつけられた状態となっており、1900年の回顧展ではふたつ並べて展示がされていました。
美術批評家のレオ・スタインバーグは『歩く人』について「いまにも打撃を繰り出そうとするボクサー」のようだと指摘しており、確かにまさにこれから動き出そうとするエネルギーのようなものが見てとれます。
マティスの彫刻
一方でマティスの彫刻はいたって静かな状態です。『農奴』の周囲を巡る曲がった輪郭線、ある運動の流れを認識することはできますが、すねや頭部など所々でその流れは一旦停止しています。このことから『農奴』は周囲の空間に延長を見せることはなく、ひとつの物体として自律していることが分かります。
さて、ロダンが“動的”でマティスが“静的”というような位置付けをここでは行いましたが、両者が対極の関係にあるというわけではありません。むしろマティスは『歩く人』と同じモデルを『農奴』を制作する際に雇い、ほぼ同じポーズをとらせていたことから、彼がロダンの彫刻に追随するかたちで、自身の作品について探究していたことが分かります。さらにマティスはロダンの“私的な側面”に大きく触発されており、制作の痕跡を表面に残すことを存分に取り入れています。
ただ、マティスの『農奴』におけるそのような試みはいささか過剰であったようで、どちらかというとメダルド・ロッソの様式に近づいています。
ロッソの彫刻
ロッソはロダンと同時代に活躍したイタリアの彫刻家です。一瞬の表情や姿を切り取り、周囲の空間に溶け込むかのような彼の作品は、しばしば“印象主義的彫刻”と称されます。
また彼は「彫刻とは芸術家の意図した効果に従って、ある一定の距離から眺められるように作られる」と考えており、いくつもの視点から見られるいわゆる“彫刻的”な鑑賞のされ方ではなく、ある単一の視点から見られる“絵画的”な見方を想定して制作をしていました。
マティスもこういった様式を『農奴』の制作を通して探りましたが、人体像の統合性が失われることは彼の意図するところでなかったため、最終的にはこれを拒絶することになります。
〜マティスの反発/当時の彫刻史の流れ〜
マティスはロダンの“私的な側面”に影響を受けましたが、彼は必ずしもロダンのすべてに賛同していたわけではありませんでした。そのことについて、マティスが自身の体験や芸術観についてを記した『画家ノート』の一文を引用して見ていきたいと思います。
「どうにも理解できなかったのは、ロダンが『聖ヨハネ』を制作しているときに、像の手を切り落として木釘に差し込むなんていうやり方を採っていたことでした。その手を独立した細部として作り込んでいた、どうやら彼自身の左手に持って、でなければともかく全体とは切り離した状態で、作り込んでいたのです。それから像の腕の先端(に挿してあった別の手)とすげ替えて、あとは全般的な動勢との関係を見ながら、どういう向きがいいかを探っていた。」
このようにマティスは、ロダンの断片を継いで全体を表すという制作過程に難色を示していました。
「一方わたし自身はというと、その時点ですでに全般的な組み立てしか見ないようになっていた。説明的な細部のかわりに、生命力があり示唆に富んだ綜合を目指すようになっていたのです。」
ここで、マティスが人体像の全体性や統合性をはじめから捉えることを重視していたのが明かされます。
また、このときマティスはアントワーヌ・ルイ・バリーの作品(バリーは前回の記事でも取り上げた通り、ロダンの師匠にあたる人物であり、解剖学的な正確さに裏打ちされた緻密な表現を特徴としています)の模写にも取り組んでいました。バリーの模写という経験はマティスにとって、彫刻を知るきっかっけであったと同時に、自身が“写実主義者”でなく、解剖学的な正確さに一切関心を持てないことに気づいた瞬間でもありました。
マティスが人体像の全体性を重視していたこと、解剖学的な正確さには関心がなかったこと、主にこのふたつがロダンと異なる点になります。
さて、先ほど挙げた“いくつかの断片を統合して全体を表す”というロダンの手法ですが、これはのちにピカソのキュビズムの登場へと繋がっていきます。ここで一旦、ロダン以降の彫刻家たちが上記の性質についてどのように取り組んでいたのかをまとめていこうと思います。
人体像の全体性を重視した彫刻家
彼らもマティスと同様に人体像の全体性を重視しています。しかし、ロダンやマティスとは反対に、制作の痕跡を一切なくすことを選んでいます。またモチーフのほとんどが女性ヌードという伝統的なもので、アカデミズム的な作風と言えるでしょう。
キュビズム的な手法を用いた彫刻家
彼らはロダンの“いくつかの断片を統合して全体を表す”という手法を用いています。ただ、ここでもマイヨールやレムブルックと同様に制作の痕跡は表面に残されてはいません。
このようなかたちでロダン以降の彫刻家たちは“人体像の全体性”について取り組んでいたのですが、では、上に挙げた作品たちとマティスの作品との違いをもっとも決定づけるものとは何でしょうか。そのことについて次の項目で探っていきたいと思います。
〜彫刻を見るときの視点について〜
両者にどのような違いがあるのかを比較する際、アードルフ・フォン・ヒルデブラントの理論がひとつの基準となります。
ヒルデブラントとは世紀末ドイツに活躍した彫刻家であり、浮彫りの機能や彫刻の面と奥行きなど、彫刻作品における視覚効果に関する理論を展開した人物です。
ヒルデブラントの浮彫り彫刻
ヒルデブラントの丸彫り彫刻
彼の理論のうち「あらゆる彫刻はレリーフのようになっているべきだ」というものがあるのですが、これはつまり、彫刻はある視点から見たときに“近景・中景・遠景”の距離による景観の違いを把握できるように作られるべきだ、といったことを意味します。
こと彫刻作品においては、その周囲に果てしなく広がる空間との関係が常について回るものですが、ヒルデブラントの理論を用いれば彫刻の周りに一定の枠組みを与えることができるため、そのような事情を一切気にする必要がなくなります。
マイヨールやリプシッツなど、先ほど挙げた作品もこの理論に準拠しており、ある決まった視点から“近景・中景・遠景”を読み取ることを前提としています。
では、そのような点においてマティスはどうでしょうか。彼は『農奴』を制作したのちに、『背中』と題した4つのシリーズを制作するのですが、これらの作品を見るとマティスと上記の理論との間にある違いがはっきりと理解できます。
マティスの浮彫り彫刻
『背中1』は壁に人物がもたれかかっているように見ることができます。この段階ではまだ背景の壁が仮想の奥行きとして機能しており、視界に入らない人体の構造も捉えることができるため、ヒルデブラントの理論ともおおよそ合致しています。
『背中2』は背景と人物の処理の仕方が同一化していき、奥行きというよりも壁が人体の形に隆起しているように見えます。
『背中3』では人物と壁の一体化が著しく進み、人体の高さと壁の高さがほとんど一致した状態になります。
『背中4』になるともはや人物と奥行きは完全に消失し、単なる凹凸を持った壁といった状態になります。
マティスもまさに“レリーフ”そのものを制作したわけですが、シリーズが進むごとにヒルデブラントの理論とはかけ離れていきます。特に『背中2』から『背中3』『背中4』にかけてその様相は顕著となり、鑑賞者は奥行きを把握することができず、その視線は壁を越えた仮想の空間へと及ぶことができなくなります。
つまり見えない部分の想定が不可能である、といったことがマティスの彫刻作品の特徴を決定づける大きな要素となるのです。
ひとくちメモ
浮彫り:浮彫りとは、平面あるいは曲面の一部が彫像として突出するように彫り込まれた彫刻のことです。レリーフとも呼ばれるのですが、その語源はイタリア語で「高くする」という意味をもつ「リレヴァーレ」に由来します。突出の度合いによってそれぞれ名称が異なり、突出が小さいものは浅浮彫り、高いものは高浮彫りとされています。
丸彫り:丸彫りとは、対象を完全に三次元で構成して全方向から見ることのできる彫刻のことです。全ての典型的な彫刻作品は丸彫りに該当します。
〜近代彫刻の夜明け〜
ここまでマティスの彫刻における特徴、“物体として自律している”“人体像の全体性・統合性を重視している”“仮想空間の想定が不可能である”などを様々なものと比較しながら見ていきました。そしてこれら全ての特徴を包括したものとして、マティスの『蛇女』という作品があります。
マティスの『蛇女』
この作品はいくつもの曲線や直線が折り重なり、それが全体となって立ち現われています。しかし、それ故にわれわれ鑑賞者は『蛇女』の全体像を把握することができなくなるのです。小さな頭部に対してあまりにも大きな髪の塊、そり曲がった胴体と両腕と左脚、地面に垂直になっている右脚と支柱、これら全ては確かにひとつのまとまりの中にあるのですが、どこで見てもその構造の印象が定まることはありません。
これはたとえばジャンボローニャの作品なども似たような現象が見受けられます。
ジャンボローニャの彫刻
ただしこの『サビニの女の掠奪』はやや歪曲しているものの、人体構造の正確さに基づいています。そのため、最初は全体像を把握することができませんが、何度か周囲を回って見るうちにどのようなことが起こっているのかを完全に理解できるのです。
その点『蛇女』は人体構造の正確さをはじめから無視しています。つまり、どのような人体構造なのかはっきりとした推測が立たず、永遠と全体像が分からない状態であるということになります。
十分に対象を見られない、認知とはそもそも不完全なものである。そういった不完全性に気づくことこそが近代美術の出発であり、『蛇女』はそのはじまりを告げる作品だといえるかもしれません。
〜今回の探索スポット!!〜
今回ご紹介した作品は以下の場所で見ることができます。
オーギュスト・ロダン『歩く人』
▶︎ロダン美術館 77 Rue de Varenne, 75007 Paris, フランス
オーギュスト・ロダン『洗礼者ヨハネ』
▶︎大原美術館 〒710-0046 岡山県倉敷市中央1丁目1−15
▶︎ニューヨーク近代美術館 11 W 53rd St, New York, NY 10019 アメリカ合衆国
メダルド・ロッソ『黄金時代』
▶︎ナッシャー彫刻センター 2001 Flora St, Dallas, TX 75201 アメリカ合衆国
▶︎ジャニック・ヤン・クルーガーコレクション
アリスティード・マイヨール『地中海偶像』
▶︎チュイルリー庭園 Place de la Concorde, 75001 Paris, フランス
ヴィルヘルム・レムブルック『膝立ちの女性』
▶︎ニューヨーク近代美術館 11 W 53rd St, New York, NY 10019 アメリカ合衆国
ジャック・リプシッツ『ギターと座る男』
▶︎テート・ブリテン Millbank, Westminster, London SW1P 4RG イギリス
レイモン・デュシャン・ヴィロン『大きな馬』
▶︎テート・ブリテン Millbank, Westminster, London SW1P 4RG イギリス
アンリ・ローランス『秋』
▶︎テート・ブリテン Millbank, Westminster, London SW1P 4RG イギリス
ジェイコブ・エプスタイン『金属の胴体による削岩機』
▶︎テート・ブリテン Millbank, Westminster, London SW1P 4RG イギリス
アンリ・ゴーディエ・ブルゼスカ『赤い石のダンサー』
▶︎テート・ブリテン Millbank, Westminster, London SW1P 4RG イギリス
アーデルフ・フォン・ヒルデブラント『別れ』
▶︎ノイエ・ピナコテーク Barer Str. 29, 80799 München, ドイツ
アーデルフ・フォン・ヒルデブラント『アダムとイブ』
▶︎ノイエ・ピナコテーク Barer Str. 29, 80799 München, ドイツ
アンリ・マティス『背中1』『背中2』『背中3』『背中4』
▶︎テート・ブリテン Millbank, Westminster, London SW1P 4RG イギリス
アンリ・マティス『蛇女』
▶︎ニューヨーク近代美術館 11 W 53rd St, New York, NY 10019 アメリカ合衆国
▶︎ロッジア・ディ・ランツィ Piazza della Signoria, 50121 Firenze FI, イタリア
お読みいただきありがとうございました!
ではでは〜
参考図書
『世界美術家大全』
『ART SINCE 1900(図鑑1900年以後の芸術)』